浦安市千鳥町に所在するが面白い位置関係で、両隣が運送会社である。向かって左のベストプラン社は紙の輸送に特化しており、右の興和運輸社は鋼材の輸送に特化、真ん中の当社は紙も鋼材もやっている。3社並ぶとグラデーションになる。
総合トラックは鋼材の輸送からスタートしたが、紙の輸送にも扱い商品を広げていった。鋼材と紙の流通は似ている部分もあるが、私自身の大きな違いを感じる。
紙はここ15年間で業界再編が進み大手製紙メーカーに集約される一方で、消費においては凸版印刷と大日本印刷の2強が圧倒的な力をもっている。簡単に2強から流通を経て最終的に2強に販売されるので流通の力が弱い。特に紙の一次問屋はその間に挟まって、商いの口銭差がなくなりオーナー経営は姿を消した。
鉄鋼も高炉メーカー再編で世界に通用する規模に向かっているが、消費の方は自動車・造船・橋梁から中小加工業者を含めると多種多様である。鉄鋼で現在でも使われる言葉「川上から川下」「高炉様々」はメーカーの力の強さ・力が大きいことを示しているが、一方で流通にあっては一次問屋や加工には、オーナー経営が多く存在している。
輸送に関しては鉄鋼にはまだまだ多くの自家用トラックば活躍している。逆に考えると、実車効率が高い運送会社の活躍する余地がある。
公認会計士のF先生と決算申告書を作ってもらう合間の雑談。
一昔は公認会計士の資格をもっていると一生食べていけたが、最近は状況がだいぶ変わってきたようだ。F先生の仲間で大手の監査法人に所属していても、ある年齢になるとだんだん仕事から外されてきている人もいるそうだ。これから生き残るには、しっかりした方針や意識の高い人のネットワークが必要だと言われていた。弁護士や医者も同様かもしれない。
これらの資格取得には最高レベルの頭脳と、かなりの時間とそれに応じた勉強と、しいて言えば家庭には金銭的にそれないのゆとりがないと難しい。でもそれだけ努力して取得した資格なのに・・・・。
F先生はやっと当たり前の世の中になったと言われたが。
経営者の大きな仕事に後継者の育成がある。我々の規模だと子供も大きな選択枝の一つになるが、身の回りの運送会社で息子がいても後を継がないケースをチラホラみうける。また一端後継者が会社に入っても、父親の家業から離れるケースも見受けられる。先行きに対する不安があるのだろうか。
「なぜ後継者が尻込みしてしまうのか」これは私自身にとって他人ごとではなく、運送業の現状踏まえ、なるべく客観的に状況を分析してみた。
①運送業がリスクに対して利益が少ない。運送の仕事の多くは、トラックを買ってドライバーを採用すればお客様でもできる。ではなぜ運送会社に委託するかという理由は、運賃が安くリスクが回避できるから。
②規模による劣勢。物流は一部の大手企業と中小企業から成り立っているが、中小がコストパフォーマンス・総合力・提案力において勝てる規模ではなくなってきた。酒屋対大手スーパーのイメージだ。
③お客様事態がグローバル化の中で厳しい経営をしており、運送会社に対する利益を容認できなくなってきた。
このように列挙してみてふと感じたのは、これは運送会社に限った問題ではなく、何処の業種も同じではないかと。実際に安定や成長が期待される業界や業種を考えてもても思いつかない。
困難な理由をいくら列挙しても解決にはならないといいうことかも。 カジ
全体の年内の営業は29日で終了したが、数台の車両は動いている。また経理も最終の仕事が残っており数名が出社してもらってい
る。私も最後の年賀状の発送や年賀の準備もあり出社した。すると1年の仕事を終えたはずのMさんが朝早くから出社して、空っぽの事務所の床掃除やワックスがけをしてくれている。有り難いことだ。
今日に限ったことではないが、自分が何ができるのか見極めて、見えないところで皆頑が張っていてくれている。
名糖運輸の中興の祖 田中久夫先生は、一倉定先生の教えを受けついで現在に置き換えて教えてくれる。過去10年で30回はゼミを受講している。この数年はご高齢なので、新潟のゼミ会場までの往復を車でご一緒させていただき、親しく教えをいただいている。
先生の経営者としての成功の秘訣を盗もうと必死で学んだ10年だが、車の中で名糖運輸の成長期の歴史を聞く中で、重要なキーワードをいただいた。
「他の会社と同じことは、しなかった」とポツリと言われた。講義では強調されなかったことだ。田中先生の経営はアイデア豊かで、次から次と新しいことを考えて実践してこられた。イトーヨーカドーがアメリカのセブンイレブンに学び、コンビニエンス事業を日本で展開する以前に、すでに田中先生はその業態を研究のためアメリカで学んでいた。イトーヨーカドーが日本でコンビニの配送できる物流会社を探しているとき、アメリカのセブンイレブンから名糖運輸が紹介されたと言う。給料体系も年功制から先駆けて年俸制度に独自で研究して実践されてきた。
「他の会社と同じことは、しなかった」この言葉をもう一度じっくり考えてみたい。
ジム・ハンターの「幸福の習慣」と言う本がある。ギャラップ社が150カ国で調査した結果をもとに、統計的に幸福について論じた本。5つの要素が満たされていると幸福になれるのだという。なれるというか、少なくとも「自分は幸福」と感じる事ができると書かれている。
その5つとは、仕事な/人間関係の/経済的な/身体的な/地域社会の幸福である。
仕事に関する記述が興味深い。
・朝目が覚めると、自分がその仕事において必要とされるワクワク
・上司といる時間が楽しい
・仕事と趣味の境目がない
・仕事の中に自分の強みを使える機会がある
・週始めがワクワクする(その反対が、週末の為に生きる)
そして、幸福はまわりに感染していくと言う。
生活の為に仕事をして、退社後や週末の趣味や余暇に楽しみを求めるのも悪くはないが、折角仕事をするなら仕事が趣味と言えるほうが幸せかもしれない。
なぜなら自分が主役になれるから。
空洞化と長期化するデフレにより、物流業界(特に中小運送会社)は、売上減少→給料ダウン→やる気ダウン→品質低下→売上減少の下向きスパイラルに陥っている。このスパイラルをどうすれば上昇に変えられるが何度も何度も友人と議論してきた。要は、何処を一番に手をつければ逆向きに変えられるかだ。
名糖運輸の田中会長から、数十年前の倒産寸前の当時を振りかえり一番先に実施したことは、運転手の給料アップだったと聞いたことがある。その結果、運転手のモチベーションが高まり、沢山の仕事をしてくれ翌年から黒字転換したそうだ。でもこの手段が有効だったのは成長期の経済下だったからだと思う。加えて、業績の悪い会社には、経営理念の存在も影が薄く感じる。勝者の言葉には迫力があるが、敗者の言葉にはなかなか耳を貸せない。
最近、メタル便の仕事量が増えてきて実感することは、成長する分野に事業構造を持っていくことではないかと。この数年社員の平均年齢が若くなると同時に、やる気のある社員が増えてきた。
当社にとってポイントだったのは、頑張ったら稼げる職場が作れたことだと思う。でも難しいのがこの物流業界で会社のサイズにあった「成長する分野」を見つけだすことだ。
小宮一慶さんの新書「ドラッカーがマネジメントでいちばん伝えたかったこと」を読み始めた一章に、マネジメントには自らの組織をして社会に貢献させるうえで三つの役割があると書かれていた。具体的には
1.自らの組織に特有の使命を果たす。
2.仕事を通じて働く人たちを生かす。
3.自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する。
このドラッカーの文章に一つ一つ小宮さんが丁寧に解説している。
読んでいて嬉しくなってきた。理由は総合トラックの経営理念の3つに 近い範囲の内容だからからだ。経営理念を作る時、深いことは考えずに、どんな想いで運送会社を経営しているか、普段回りに話していることを3項目にし明文化した。
1.お客様が価値を認める物流サービスを提供する。
2.コツコツ働く人に報いる。
3.地球環境の保全に配慮する。
少年野球のコーチが普段話している指導が、プロの名監督の名語録と偶然一定したようなものだ。
松下資料館の川越元館長の話を聞く。
「不況また良し!」の言葉は有名。その言葉の裏には、松下幸之助翁は苦境との戦いの人生だった。本人の弁では、体が弱く、学問もなく、お金もなかったという。
・小学校4年で家業が倒産して丁稚奉公。小学校中退。
・父親を11歳の時に亡くし、母親は18歳、八人兄弟だったが26歳までに兄姉7名を亡くし生涯孤独になった。
・肺炎で病弱で、生涯病院との往復だった。
松下翁は3回の大きな危機に遭遇する。
・昭和初期の世界不況
・敗戦後
・昭和39年 オリンピック前の不況
松下翁にとっては、現実を素直に受けとめて生きていくしか無かった。
ここ数年でリーマンショック・東日本大震災と立て続けに苦境が起きているが、松下翁の生きざまや人生観に学ぶところが多い話だった。「自分は何も無かったから成功したのかもしれない」の言葉が印象的だった。
(写真1: 京都の真々庵、そこにある根源と言う社。)
(写真2: 大きな決断をする時は、その社の前で数時間も考えていたと言う。素直、宇宙の原理)
学生時代陸上部に所属していたが、練習のあいまに顔を出し昔話を始める年配OBがおられる。関心をもっていただけるのは有難いが、40~50年前の陸上の練習方法や苦労話を聞いてもそんな時代ではない。話が長くなるとウォーミングアップした体も冷えてしまい怪我の原因にもなる。経営者として同じことを現場にしていないか、自分自身疑問に思う時がある。社長って我侭なモノで、つい身勝手に考えがち。
東日本大震災後、民間に比べて公務員の対応の遅さの苦情を度々聞く。現政権と行政もシックリしていないのも原因の一つ。ある医師から、震災直後被災地での薬不足が切迫した問題となっている中で、立川に緊急用薬品の国の備蓄があったそうだか、目的が海外支援用だということで使わなかったと言う話を聞いた。とっても馬鹿らしい話だが現実の様だ。余計なことをすると何かあった時政治家から批判をうけるので、それならアクションを起こさず見て見ぬふりをするのが実態のようだ。
会社でも、自主性とはいいつつ、失敗したら部下に責任を押し付ける。そんなことが何度かあるとチャレンジ精神が喪失してしまう。