ダイエイ便のレベルアップ研修で、メタル便のことを説明する時間を30分もらった。総合トラックがメタル便にどう関わっていくかを説明するためにこの12年の相関図を作成してみた。作ってみて驚いたことは、全ての展開が出会いから始まっている。
左の写真の左の上部、総合トラックが小宮一慶さんに顧問になってもらう中、日経の取材をしてもらい、一枚の記事になった。この新聞がキッカケとなり、お客様である金森会長の目にとまり、鉄鋼団地の共同配送の構想が出来上がった。大阪へも、東海への展開も全てご縁が広げてくれた。
でも単に縁があったから広がったのではなく、やるべきことが明確だったので出会った人が関わったり協力者となってくれた。改めて縁の持つ不思議な力を痛感する。カジ
月に一度幹部で業績検討会が行われる。数ヶ月前に小宮コンサルにアドバイサー参加いただいた時、参加者が受身になっていると指摘をいただいた。その解決策として、「Jシート」なるものと作った。J=自慢で、1ヵ月一点に絞って挑戦してみたいことを幹部の前で宣言して、1ヵ月後にその成果を自慢するものだ。その用紙には巻き込む人も記入する。
運営して3ヶ月会社が動いてきた感じがする。幹部といえども日常業務で手一杯でゆとりをもって物事に取り組む時間はない。でも日常業務の連続では進歩や発展はない。だから一つだけに絞ってアクションを起こす。やるべき事を宣言した時点で、仲間から厳しい意見も交わされる。その必要性や最優先にすべきことなのか。巻き込む人の記入もあり、協力してもらいたい人を用紙に勝手に書きこむ。これも重要で、チームプレーが生まれる。
我々は切ないくらいに「褒められること」を欲しているが、残念ながら会社では褒められることは先ずない。だからその替わりに、自分で自分を自慢しようという意図である。
恥ずかしながら私を含め数名が、Jシートに何を一点に絞るのか解らないとの発言がでた。それも良しだと思う。悩みから次の自分の使命が生まれてくるからだ。 カジ
浦安市千鳥町に所在するが面白い位置関係で、両隣が運送会社である。向かって左のベストプラン社は紙の輸送に特化しており、右の興和運輸社は鋼材の輸送に特化、真ん中の当社は紙も鋼材もやっている。3社並ぶとグラデーションになる。
総合トラックは鋼材の輸送からスタートしたが、紙の輸送にも扱い商品を広げていった。鋼材と紙の流通は似ている部分もあるが、私自身の大きな違いを感じる。
紙はここ15年間で業界再編が進み大手製紙メーカーに集約される一方で、消費においては凸版印刷と大日本印刷の2強が圧倒的な力をもっている。簡単に2強から流通を経て最終的に2強に販売されるので流通の力が弱い。特に紙の一次問屋はその間に挟まって、商いの口銭差がなくなりオーナー経営は姿を消した。
鉄鋼も高炉メーカー再編で世界に通用する規模に向かっているが、消費の方は自動車・造船・橋梁から中小加工業者を含めると多種多様である。鉄鋼で現在でも使われる言葉「川上から川下」「高炉様々」はメーカーの力の強さ・力が大きいことを示しているが、一方で流通にあっては一次問屋や加工には、オーナー経営が多く存在している。
輸送に関しては鉄鋼にはまだまだ多くの自家用トラックば活躍している。逆に考えると、実車効率が高い運送会社の活躍する余地がある。
本日、お客様の依頼で、救援物資4社分を積んで4トン車一台が仙台に向かった。石巻に取引しているW運送があり、事前に連絡して必要な物を聞いて、その便に合わせて救援物資を多少だが渡すことができた。
状況は厳しく、事務所は流され19台のあった車両のほぼ半分の車両を地震で失ったそうだ。やはり電気が回復してないので、単1や単2の電池が必要だと聞いたが残念ながらそれほどの電池は、近隣を回っても確保できなかた。
ドライバーに聞くと仙台に近付くと海側がテレビで見る悲惨な景色が広がってきたそうだ。
こんな状況下でもW運送の方は我々に気を使かわれ、百数十匹の秋刀魚を土産にいただいてきた。逆に我々が勇気づけられた気がした。
キャビンの掃除用に・・・。
①武器(道具・各種洗剤)を完全準備すること。
・相当数のタオル
・ワックス
・マイペット×員数分
②安全確保の為、低めの脚立を数個容易
③グループ制にして、終了後は相互チェック。チェックシートも事前準備
④朝9時スタートを8時にしたが、7時でも良いかも。
⑤バケツに水を汲む待ち時間を無くす為、二ヵ所に子供用のプールに水を張るのも良いかも。
⑥最初と最後は会議室の利用→ケジメがつく
⑦弁当箱の分別も明確に(紙・他)
総合トラックの年賀状は写真入りにしている。
写真入り年賀状にしようとすると、トラックや社屋の写真もありふれており、見る方も面白いものでもない。使えるコンテンツは意外と少ない。2001年からはアーチストWATARU(小池渉)氏のその年の作品より選び、使用させてもらっている。私の独断で選んでいるが、個性的な年賀状に私のセンスを問うような社内の声も、今のところ聞こえてこない。
現在WATARU氏はアーティストだが、約20年近くは家業の食品メーカーで新商品の販売企画を担当し、マーケティングの第一線で多くの実績を残してきた。
中小企業には戦略を考えるスタッフやその道のプロがいないといわれているが、WATARU氏は年賀状のデザインのみならず、多岐に渡りアドバイスをもらっている有り難いブレーンなのだ。
今年の作品は、彼の活動拠点の一つであるバルセロナで作ったオブジェ。緑の背景が動いている感じに2006年の躍動やスピード感を表現したかった。
(写真: ミロやピカソも使ったアルティガス氏の窯で焼かれた作品、置いてある庭はガウディがグエル公園を作る期間制作の拠点にした建物の庭。ここがWATARU氏のスペインでの作品制作の拠点となっている。)
25年歴史の中には、思い出したくない事も幾つかある。悪い出来事も企業としての歴史の1ページ。十数年前、朝の4時半頃配車係から自宅に電話があった。「社長、死亡事故が起きました、当社が加害者です。事故内容は一切分りません。亡くなった方の人数や年齢もわかりません、兎に角、社長警察に行ってください。私も行きます。」その電話の会話は今でも鮮明に記憶にある。駆けつけた葛南警察署は私の自宅から歩いて5分位のところ。警察に行き長椅子に座って待つように指示を受けるが、待つこと2時間状況は全く教えてもらえない。午前6時頃カウンターの奥で、佐倉在住の70歳台の男性が行方不明になっており照会の電話が。午前7時過ぎ警察に葬儀社の車。ここで始めて警察より状況を教えてもらう。佐倉市在住の痴呆の老人が先日の正午より自転車で外出したまま行方不明になっており、その方が浦安まできて、夜の2時半に357号を自転車で逆走し、雨の中、弊社のトラックと正面衝突し即死したという。ご遺族の自宅に謝罪にお伺いした際、同行した保険会社の事故処理担当の方から「死亡事故の経験は初めてですか?多くの運送会社の経営者は経験しなければならないことです。頑張って下さい」と言われた。遺族の家族から運転手へのねぎらいの言葉をいただいた時は、言葉が詰まった。