この一年当社に来られるお客様が多い。何かしらの要件で来客される。
創業して20年位までは当社から訪問することがあっても、お客様(荷主)が来社されるケースはほとんど無かった。
一年に数回で、年間を振り返って数えられる位少なかった。理由のひとつとして誰でもできる仕事をしていた時代である。
訪問が増えたのは小口混載やクロスドッキング的な動きをするようになってからで、紹介などを通じてお客様が相談にこれるケースが増えた様だ。
本当に有り難いことで、そうで有る事が難しい(当たり前でない)事を肝に銘じておきたい。
カンボジアは貧しく一般家庭には熱い国でもクーラーがなく、見かける子供達も裸足である。コメ中心の農業も生産性は低いと聞く。どうしたらこの貧しさから抜け出せるのか。
カンボジアにはアンコールワットなど著名な観光資源があり世界中からの観光客は絶えないが、我々が現地に落とすお金が一般庶民を豊かにしているとは思えない。日本人に経営する土産物店にいったが、地元の土産物屋に比べべらぼうに値段が高いが、日本人が土産として欲しい気の利いたものが並べられていた。お驚いたのはトイレがウォシュレットであった。
高級ホテルに泊ったが施設はもちろんのこと、料理やサービスも素晴らしい。このセンスの良いホテルは間違いなく外資の経営だと思う。
観光客が喜ぶポイントを押さえいるから、そこにはお金が落ちる仕組みになっている。言い換えると、豊かさを経験した者だから提供できるサービスだ。観光立国でも富める者がより富んで、貧富の差は広まる一方だ。年々中間層がなくなりつつある日本にとって、他人ごととは思えない。新聞では最高益を出す大企業が記載されているが、我々の生活が豊かになっている実感はない。実運送では中小零細が多い物流業界も同様に、知らないだけで高い付加価値のサービスがあるかも知れない。
代々木駅、高校生の運動部の下級生と思われるまる坊主の二人が、次々と改札口を出てくる上級生に挨拶している。大きな試合か大会の当日の様だ。体育会系の気合いの入った下級生の挨拶に、通り過ぎる上級生の多くが言葉を返すことなく「無視」状態で過ぎ去っていく。無視が上級生としての威厳なのかもしれない。私も学生時代運動部に所属していたが、気合いの入った下級生の挨拶に対して2分1位のトーンで返事していたが無視はしていなかった。10分位駅前の光景を見て確信したことは、必死に挨拶している下級生も上級生になった時は今の上級生と同じ態度をとるということだ。一人の力ではなかなか慣習は変えられない。
偏見かもしれないが、港湾に出入りする大型トラックの運転手は挨拶が下手に思う。港湾は既得権ともいえる港湾労働者が荒っぽくその影響かもしれない。同様にお酒の配達や新聞を夜間配達する2tトラックの運転を多くの場面で荒く感じる。飲食街へのお酒納品を想像すると、人の気配のない時間帯に入り組んだ建物に重たい荷物を階段を使って運んでいく。「運転手さんご苦労さん」の声も少なそうだ。やってられないという気分になることもあるかも知れない。新聞関係の下半身は、新聞記事とは違って品がない。当社も数年間、巻取紙を配送したことがあるが、新聞社の荷下し作業員が運転手にモノを要求してくる。その下品さは新聞の強引な販売店員からも想像できる。
気の付く温かいドライバーを育成する事は運送会社の仕事だが、ドライバーという仕事にやりがいを持たせてくれるのはお客様や配送先で「運転手さん有り難う」の一言。大きな励みになる。届け先で缶コーヒーを毎回くれるところもある。会社の大小には関係なく、荷主や届け先で人として扱ってくれることが業界の品質を良くしていくと思う。
待望のニューデザインの4tウイング車が2台納車になった。総合トラックのロゴ「キューポイント」をボディ全面に描いた。キャビンはメタル便グループとの統一性を求めた。一色のカラーだが、結構目立ちそうだ。
ロゴの基本デザインはWATARUさん、トラックデザインは宗倉良知さん。宗倉さんは、知人の(株)大栄と入出運送(株)のトラックデザインも手掛けており、トラックデザイとしては3作目となる。宗倉さん曰く、今回のテーストはアイルランドで、アイルランド人になりきってイメージしたそうだ。
今年2月、九死に一生をえたK理事長の奇跡の話。
高速道路を運転中、背中に今迄で経験したことのない激痛に襲われた。医者なので自身を大動脈流破裂と診断した。車を路肩に寄せようとしたその数秒後、意識を失った。意識が戻った時は、ガードレールに激突し車が大破した状態であった。幸い単独事故で、事故による外傷もなかった。エアーバックに囲まれた状況で「意識はあるか」とレクサスの自動音声が話かけてきた。返答が出来なかったので、レクサスが自動的にGPSで現在地を示し救急車に連絡をとった。
【奇跡1】 理事長は最近ベンツからレクサスに乗り換えたばかりだった。ベンツでも車両事故による外傷は防げたかもしれないが救急車を呼ぶ機能は無かった。お蔭で事故発生から15分後に救急車が無事到着した。
【奇跡2】 その時来た救急隊員が偶然K理事長を知っており、K理事長の講義を受けた受講生だった。K理事長は大動脈破裂の診断と2時間以内に手術しないと80%の確率で死亡する緊急性を伝えた。救急隊は最寄の大学病院を勧めるが日曜日の大学病院には手術できる専門医がいない、緊急性からK理事長の希望で自身が関わる救急医療センターに変更してもらった。
【奇跡3】 救急医療センターでも日曜日に大手術をできる医療スタッフがいる訳ではない。だが幸いに経営幹部が休日返上でその日は会議をしていた。そこには日本で血管手術で右に出るものがないナンバーワンの名医がおり、看護長始めとする医療スタッフの各責任者もいた。理事長の緊急オペのため会議は中止して、直ぐに手術に取掛った。
K理事長の診断通り大動脈流の破裂だったが血管破裂が臓器まで連鎖する前に処置、7時間の大手術も成功。11日後には無事に退院、今では以前と変わらず多忙な毎日をおくっている。事故後6か月を過ぎて初めてお会いしたが、以前と全く変わりなく活力にあふれていた。快気祝いの気持ちでお会いしたが、家内共々銀座で話題のフランス料理「ドミニク・ブシェ」ですっかりご馳走になってしまった。K夫婦は美食家で料理毎にワインを変えて7種類のワインを堪能させてもらった。
多くの人はラッキーを感じた時、一方でつまらない事で運を使ったと嘆くこともある。
K理事長は生死を分けるその瞬間に、立て続けに3枚の奇跡のカードを切っていった。私はこれを強運とは思わない。なぜなら、K理事長は50歳半ばにメスを置いて病院経営に専念して以来、それだけに留まらず公的な政府の仕事や地域救急医療にも精力的に貢献され、多くの隠匿も積んでこられた。担ぎこまれた救急医療センターのトップは手術を前にして大声で「この医療センターの未来の為にも、K理事長を絶対に死なせてはならない」とスタッフに激を飛ばしていたそうだ。K理事長は「与えてもらった第二の人生、業界の為に貢献する使命をより感じた」と言われていた。
10日金曜日にゴルフコンペ前夜祭の飲み会があり、深酒がたたって帰りの地下鉄ホームで財布を落としてしまった。幸いに電車が出発する前に落ちていた財布を拾ってくれた親切な人がおり事なきをえた。翌日茨城ゴルフでのコンペ参加の当日、筑波エクスプレスのみらい平駅からローターで待っていたクラブバスに乗り込んだが、何を勘違いしたのか筑波ゴルフ行きのバスに乗り込んでいた。「茨」と「筑」はちょっと文字の雰囲気が似ている。幸いそのバスが巡回しておりクラブバスの好意で送り帰してくれたので事なきを得た。その帰りにゴルフ場でカメラを忘れてきた。幸いクラブで拾得してもらっており翌日の電話で確認、快く着払いで郵送してもらって。
チョンボ続きの2日間だったが、幸い続きの2日間でもあった。この2日間で見ず知らずの方から受けた数々の「ご恩」、社会の何処かに返さなければなりません。 カジ
新しい仕事を始める時は勇気がいるが、一方で将来の可能性にワクワクもする。だが現実問題として、その仕事や商売を継続することは始める時よりはるかに難しい。知人から聞いた話だが、個人が飲食店を開いて数ヶ月も経たないうちに閉店する人がいるそうだ。開店させることが目的で、店を持った瞬間に目的達成したことになるから。アマチュアがプロの世界に入って、そのレベルの差に直面して、工夫や努力をすることなく終えていく。それも金銭面を考えたら正解だと思う。店を開くより維持する方が感覚だと3~5倍は資金が必要になってくるからである。そしてその消えていくお金の大部分が人件費である。
逆説的になるが、継続より更に難しいの撤退である。撤退は面子もつぶれ、雇用問題もあり、多くの撤退資金が必要になるから先延ばしする。私もその一人で、多くの人がここで撤退の時期を見誤る。商売上手な人は、撤退の見極めが早い。店舗数が多い会社だと、出店に対し撤退する確立を把握して、出店ミスがあることを前提にしている。同じ仕組みのチェーン店でも、駄目な店は駄目なのである。経験値もない新しい分野の仕事なら、失敗の確立はより高まる。
今年の5月に23年続けた埼玉事業所を閉鎖し、その閉鎖に当たっては長年ご利用いただいたお客様にもだいぶご迷惑をおかけした。振り返って見ると撤退の判断は遅かった深く反省する。
トラックヤードのフェンス際に乗用車を並べると、植栽が伸びて樹液が車に付くようになってきた。8月13日は出勤日だが、お客様は休みが多いの、で朝7時から6名で伐採する。2メーター近く伸びた植栽を思い切って1メーター位に。新里さんが事前にクリーンセンターに問い合わせて、伐採した樹をトラックに積んでそのまま受け取ってもらえることを確認していた。全員がノコギリを持ち、次から次に切った樹をトラックに積み込んでいく。ごみ袋に入れる手間がないので作業が順調で約2時間で終わった。4t車2台と2t車1台の樹をクリーンセンターに。
気が付いたら、フェンスの向かいの興和運輸さんも大勢で手伝ってくれていた。長袖で虫除けスプレーを使用したが、それでも夜は体中が小虫に刺されて痒かった。
「商売人は人前で話すな」は先輩経営者からの教訓である。社長が人前で能書きを話す様になったら数年後にはその会社が無くなっていると言う多くの事例からである。
が、また掟破りをしてしまった。名古屋で開かれた物流会社を対象にした物流セミナーで、お題は「パートナービジネス」の90分の講演である。
でも言い訳がましいが、人前で話すとなると周到に講演の事前準備をする。聞いていただいた方には申し訳ないが、この切羽詰った準備の為の時間が、私にとっては一番の財産である。
今年の夏に20歳の長男が教習所に通う。
学生で時間が自由になる夏休みに経験を積むと言う理由で、昨年は運転免許取得かアルバイトの二択を迫った。彼はお金になるコンビニのアルバイトを選択し、12月まで週二回夜働いていた。今年の夏は運転免許になった。若者の車離れが言われているが、息子も例外でなく運転にはまったく興味がない様だ。
我が家では運転免許を取った時、父親による最終路上試験がルール付けられていた。兄も姉もその路上試験を受けたが、姉はその試験をなかなかクリアーできずに、何度も父の厳しい指導を受けた。試験に合格すると、最終トレーニングだ。一つは走行中にサイドブレーキで停止させることと、力の限りでフットブレーキを踏むこと。特に急ブレーキは何度も駄目だしが出た、教習所では柔らかくブレーキを踏む事を教わってきたので強く踏み込めない。父親には、運転は家庭教育の一環であると言う明確なポリシーが有った。又、尋常でない場面に遭遇した時の対処方法を体で覚えさせるという事だ。自転車と同様に一度体が覚えると、何十年経過しても体は覚えていると言うのが父の持論だ。私自身その急ブレーキのトレーニングのお陰で実際に何度か救われたことがある。
息子が免許を取得したら、同様のトレーニングをするつもりだ。これで親子三代によって引き継がれる。
上海で経験したことだ街中の運転がかなり荒い、彼らの多くが運転第一世代だと思う。