長谷川時司さんが亡くなって一年が経った。
昨年はこの時期かなり暑く、炎天下のトラック作業でふらつき、大型車両の荷台から転落、後頭部を強打、5時間後に救急病院で息をひきとった。1m以上は転落した時死亡してもおかしくない高さであると聞いたことがあるが、当社で残念ながら現実のものとなった。ヘルメットはあご紐がはずれていたため、転落時は脱げていた。
長谷川時司さんとは、私が学生時代に家業のアルバイトをした時から30年以上の一緒に仕事をしてきたので、多くの思い出がある。ボクシングで鍛えられた体は強靭であり、20年位前までは休日も仕事がある時代は年間を通じて長谷川さんは休まなかった。数ヶ月休まない事も珍しくなく、正月休みも加えて年間を通じて10日以下の休と言ったことも度々あった。
10年位前から会社が環境整備に取り組むようになると、率先し実行してくれた。休日は頻繁に会社に来て、一日掛けて担当のトラックを洗車していた。トップページの左にでる6484の車両は長谷川さんの乗っていた時もので、何ともいえない輝きである。数ヶ月に一度は、社員のいない休日に本社に来て、自主的に1人でプロ顔負けのワックスがけの床掃除をしてくれていた。本人の誠意でやってくれたことなので、金銭的には一回も報いなかったが、「いつか別の形で報います」と心の中で手を合わせてお礼を言っていた。恩返しの機会は、結局こなかった。
一周忌に社員代表数名と線香を上げにいく。社員の口からお客さんの会社のトイレ掃除も行っていたことも初めて知った。奥さんが「30年間、会社で働かせて頂いたことが幸せでした」と言っていただいた。内助の功や家庭の理解があって、長谷川さんの会社での姿があったのだと再認識した。