元気な現在の中国も好きだが、優雅で可憐な中国も大好きだ。歴史のある国には、それなりの風情がある。特に中国は文化も我々に身近であるのでホッとする部分が多い。
数年前に、北京飯店の一階ロビーのカフェでチャイナのロングドレスを着たスタッフが給仕し、クラッシック音楽の生演奏、優雅で至福の一時。同飯店で食べた中華料理も手が込んでいるのに、薄味で上品な味がした。この時の印象が私の中にある中国感である。
今回の旅行でも、そんな可憐な中国をいくつか体験した。杭州、西湖に面したラマダホテルに2泊した。東方見聞録のマルコポーロも訪れたという歴史ある景勝地。湖の周りには、歴史的な建物や当時の面影がそのまま残っている。ベッドの枕もとには、杭州にちなんだ詩が栞になって置いてあり、その栞が毎日変わる。一枚の栞だが、歴史に思いを馳せる。
左の写真は、杭州茶館に入った時のもので、ウエイターが何とも言えずエレガントだった。可憐、でもその立ち振る舞いは洗練されている。こんな中国が大好きだ。
「上海は築地市場」と佐藤康子さんから教わった。市場の中に一歩足を踏みいれたら、そこは戦場。働く人が主役で、一般見学者に愛想をしている時間もゆとりもない。上海はお金を稼ぐところ、住むのは近隣の杭州や紹興。そこにはゆったりとした空間があるそうだ。
上海へは4回か5回目位。最初に行ったのは27年位前で、最後に行ったのは10年位前なので、街の変貌ぶりにはただただ驚きの連続。
【 われ先に 】
10年前は街中に乗用車が溢れかえり、先を争う車と渋滞でクラクションの音が鳴り止まなかった。他人のことはおかまえ無しで自己中心、まさに発展途上を感じさせた。
世界の工場となりGNP世界2位、年収1000万円の所得者が日本の2倍になった今、その状況「我先に」に変化はなかった。列には並ばない、並んだとしても割り込まれないように体をくっつけてくる。交通ルールも人・自転車・バイク・車に優先順位はない、先に通ったもの勝ち。車線の真ん中を走り、急な車線変更、各自が憤りでクラクションを鳴らしつづける。数秒後には、鳴らした本人が同じ様な割り込みする。ここまでくるとお見事。
むしろ「我先に」に、プライドというか貫禄がでてきた。
「日本人は譲り合うから、他人のことを気遣うから、だめになってしまったのでしょ。」
「16億人の勝ち組のやっていることが世界の常識ではありませんか」
こんな声が聞こえてきそうだ。
【お客様になった】
年収1000万円の人が日本の2倍いるという事は、物価の安い中国では相当自由になるお金があるということ。カルフールのスーパーにいったが、商品が溢れかえり大勢の人。ショッピングセンターには、ヨーロッパやアジアのブランドが競って出店している。ルイヴィトンを代表とする高級ブランドは日本に比べて3割高いという。銀座で中国の若い女性が一時で500万円の買い物をしたそうだが、今の中国では充分に理解できる話。
中国の一番の金持ちの総資産は7兆円。中国は世界の工場ではなく、世界の一大消費地なのである。
本社にて第18回環境整備研修会をおこなう。
通常は一日かけトイレ掃除を中心に研修がおこなわれるが、今回は変則バージョン。午前中は2班に分かれ落ち葉の舞い散る会社の周りを清掃、午後より「お客様の目になって直すべきところ」「会社の無駄な部分」をテーマに各自シートに記入し発表、そして限られた時間内で問題箇所の改善を手がける。
本社の現場が無いので、安全と言うより無駄がテーマとなる。
全員が一斉にデスク周りの書類を片付け始めた時は、普段の事務所とは景色が異なり、何だか迫力がある。
帰りの時には、綺麗にした路上も落ち葉がしっかり溜まっていた。
ウォールマートは、戦略的にナショナル・ブランドと地域ナンバー1ブランドとプライベートブランドに3種類に絞り込んだ品揃えであるという話を小池さんより聞く。
スーパーで扱う醤油で例えると、名の通ったキッコ-マン、こだわり樽仕込みの○○醤油、そして価格で勝負するスーパー自社ブランドの醤油。好みや予算もまちまちな顧客の要望に幅広く対応させる為に。
でも3つのそれぞれのカテゴリー内は一社に絞込み、3社の商品しか販売しない賢い方法だ。
運送も同じかもしれない。
世界や国内ナンバーワンの物流会社、地域密着型の物流会社、そしてお客様自身でおこなう輸送部門。
情報化の中こんな図式に向かって、物流業界はより厳しい選別を受けていくことは間違いない。
我々の向かうべきは、その扱い商品にあって地域ナンバー1ブランドになるしかない。
その為には今何をすべきか、色々と考えさせる。
安全対策の一貫として、ヘルメットにシールを貼って各種の情報を組み入れる。
所属・氏名・血液型・玉掛け資格・フォーク資格等の項目。
各種の技能明示することにより、お客様への安心をアピールさせ、これによりお客様先で資格のない作業要求に対しても断ることができる。
でも、一番の目的は、ヘルメットに重要性を持たせることにより、着用の意識も高める。
安全関係の商品を取扱っているM社のカタログを見て注文することにする。
インターネットから注文しようとしたが、何だか複雑でピンとこない。
カタログの後に書いてある電話に問い合せると、突然の電話の様に対応されタライ回しで、結局上司らしき人が対応し最寄の営業所の電話を教えられる。
その営業所に電話すると、新規取引が悪いかの様に無愛想な応対でFAXに要件を書いて注文してくれ、料金は着払いでと言う。
指示に従いFAXしたがそれ以来、数日経っても商品は送られてこない。
路線便でおくれば翌日には着くはずなのに。
でも私の感じた「やる気あるのか」の不満は、M社には届いてない。
弊社でもこんな問題は、かなりあると思う。
お客様は殆んど指摘してくださらない。
正すのは我々のお互い同士しかいない。
内側から出る厳しい意見が貴重になる。
大阪の大栄に来るのは久しぶり。と言っても、3ヶ月ぶり位か。
事務所の端にサンドイッチが数十個ケースに入って置かれているのを発見。
「何に?」と聞くと、社員がお腹が空いた時のオヤツだと言う。
前社長の提案で、コンビニが近くないので大阪北港に移転して以来の慣習で、無料で自由に取って食べて良いのだそうだ。
社員以外でも、集荷に着たドライバーも食べるそうだ。
吉田氏は「経費削減項目の一つとして毎回議題にあがるが、熱心に配達してくれるパン屋さんの顔を思い出すと結局継続になる。会社が存続する限りは続くかもしれない。」と説明してくれたが、「働く皆さん、毎日有り難う」が本心だろうし、「会社が存続する限りは、働く皆に感謝し続けたい」が継続の真意と感じた。
事故を起こした運転手は、半年間ハンドルは握らない別の仕事につき、辛抱強く耐えてくれた。
法的な過失はゼロで免許もそのままだった。
でも実際に人が亡ったことは事実で、夜間だから、雨だから、逆走してきたから起きてしまった事故だとも割り切れず、弊社にも過失は有ると今でも思っている。それは私の過失でもある。
運転手は警察に2日間保護され、勿論取り調べも行われたが、精神が落ち着くまでの本人の為の留置期間である事も知らされた。
運転手の精神状態が落ち着くまで数十日かかったが、その後に、事故の状況を本人から詳しく聞いた。
・・・何かを跳ねたと思った。その場を逃げ出したい強烈な誘惑があった。車を停止し、何が起きたか確認した。そこで数百メートルに渡りバラバラになった遺体を見る事になった。
いま思い出すと、現場で多くの初めて会う運転手から温かい協力を受けた。
二重事故が起きないように通行車両を誘導してくれた人、警察に通報してくれた人、「逃げるなよ。絶対逃げるなよ。一生後悔するぞ、警察が来るまで付き添うからガンバレ。」といいながら励ましてくれた人。そんな仲間がいてくれたから、その場にふんばれたと泣きながら話してくれた。
・・・私はこの経験以来「事故は確率の問題だ」と言うことにしている。確率だから100%避けることはできないかもしれないが、確率を下げる努力は自分でできる。
そして今日も一日が無事終わってくれた事に感謝している。
25年歴史の中には、思い出したくない事も幾つかある。悪い出来事も企業としての歴史の1ページ。十数年前、朝の4時半頃配車係から自宅に電話があった。「社長、死亡事故が起きました、当社が加害者です。事故内容は一切分りません。亡くなった方の人数や年齢もわかりません、兎に角、社長警察に行ってください。私も行きます。」その電話の会話は今でも鮮明に記憶にある。駆けつけた葛南警察署は私の自宅から歩いて5分位のところ。警察に行き長椅子に座って待つように指示を受けるが、待つこと2時間状況は全く教えてもらえない。午前6時頃カウンターの奥で、佐倉在住の70歳台の男性が行方不明になっており照会の電話が。午前7時過ぎ警察に葬儀社の車。ここで始めて警察より状況を教えてもらう。佐倉市在住の痴呆の老人が先日の正午より自転車で外出したまま行方不明になっており、その方が浦安まできて、夜の2時半に357号を自転車で逆走し、雨の中、弊社のトラックと正面衝突し即死したという。ご遺族の自宅に謝罪にお伺いした際、同行した保険会社の事故処理担当の方から「死亡事故の経験は初めてですか?多くの運送会社の経営者は経験しなければならないことです。頑張って下さい」と言われた。遺族の家族から運転手へのねぎらいの言葉をいただいた時は、言葉が詰まった。
大榮・アトランスと業務提携する過程で幾つか取決めたことがある。お互いの会社でデスク・電源・OA機器を自由に使えることはもちろんとして、社員互いで敬語を使うことをやめ名前は呼び捨てとした。何よりも重要だったことは「機能がない部分には口銭は発生させない」ルール、これが取決められ、元受・下請けの関係ではなく、お互いが対等の関係に立てた。それは、お客様の為でもあった。お客様にメリットがあると思った時は、どんどん紹介し直接取引きしてもらう。現在では40~50社の共通のお客様がある。同業でも、東京・大阪・浜松・名古屋と営業圏が異なることも、功を相したかもしれない。提携により、お蔭様でお互い良い刺激にもなったし、ビジネススピードも上がってきている。
(写真: メタル便サービスは、関東・東海・関西で提供しており、3社による提携が実運営を支えている。)